たかひろの生涯読書するぞ!

「学んだら人生が変わった」!をかなえたい人のリアルなブログ

【読書】読みたいことを書けばいい。を読んでみました。

 

あらすじ
自分のために書くということ、三十年以上も前の話だ。ある雑誌で「あなたの職業適性診断YES・NOチャート」というものがあった。まだ中学生だったわたしは、「自分はどんな仕事にむいているのかな?」というピュアな気持ちで、職業を診断したくなった。【第一門:あなたはゴリラか? YES・NO】・・・なにを考えてえいるのだろうか。ここでとりあえず【YES】を選んで矢印を辿ったわたしは、衝撃的な文言を目にすることになった。
【あなたはゴリラだ。まず人間になることを考えよう】
いったい、この人はどういうつもりでこの選択肢を作ったのだろう。
ひとつ言えることは、これを書いた人は
「書きたくて書いた」
ということである。誰かの命令ではない。他人の要望に答えるためのものではない。どう考えてもこの人は
「自分が読みたかった」
からこれを書いたのである。書いた自分が楽しかったのである。自分が面白くない文章を、他人が読んで面白いわけがない。だから、自分が読みたいものを書く。それが
「読書としての文章術だ」
今50歳になったわたしは、これを書いた人に会いたい。そしてハリセンで頭をはたきたい。

*1結論

*2理由
*3なにを書くのか
*4なにを書くのか2
*5だれに書くのか1
*6だれに書くのか2
*7なぜ書くのか
*8感想

*1:結論 自分が読みたいことを書く。

*2:理由 「自分が読みたいことを書けば、自分が楽しい」から、自分が読んで面白くない文章を、他人が読んで面白いわけがない。だから、自分が読みたいものを書く。

*3:なにを書くのか1 偉いと思われたい。お金が欲しい。成功したい。目的意識があるのは結構だが、その考え方で書くと、結局人に読んでもらえない文章ができあがる。文書と文章は違うことを知っておく、レポート、論文、メール、報告書、企画書。これらは「問題解決」のためであったり「目的達成」のためであったりする書類だ。世に出回っている「文章術」の本は、なぜかこれらを懇切丁寧に教えようとしている。だが、それらは文章というより、業務用の「文書」というべきものではないだろうか。しかし、いまネット上にあふれているのは「文章」のほうだ。書きたい人がいて、読みたい人がいる(かもしれない)、それが「文章」なのである。

*4:なにを書くのか2 ネットで読まれている文章の9割は「随筆」、では随筆とはなにか。「事象と心象が交わるところに生まれる文章」、事象とはすなわち、見聞きしたことや、知ったことだ。世の中のあらゆるモノ、コト、ヒトは「事象」である。それに触れて心が動き、書きたくなる気持ちが生まれる、それが「心象」である。その2つがそろってはじめて「随筆」が書かれる。人間は、事象を見聞きして、それに対して思ったこと考えたことを書きたいし、また読みたいのである。

*5:だれに書くのか1 だれかがもう書いているなら読み手でいよう、承認要求を満たすために「書く」は割に会わない、自分で読んで楽しい気分になる以外に方法がない。深夜暗い部屋で腰の痛みに耐えながらキーボードを打って、自分で書いたものに自分で少し笑う、それが「書く人」の生活である。

*6:だれに書くのか2 なにを書いたかよりもだれが書いたか、さてあなたは腰の痛みと眠気に耐えながら一万文字の原稿を書いた。自分が興味を持った事象について、自分が心象を、自分が読んで面白いように書ききった。さあだれがよんでくれるか。「だれも読まないのである」、なぜならあなたは宇多田ヒカルではないからである。あなたがたとえば「ローマ帝国1480年の歴史」という事象に興味を持って丹念に資料を調べ、とてつもなくエキサイティングだったという心象を、自分自身で読んで面白いウンチクやギャグをちりばめた文章にしてインターネットに載せても、十数人から、多くて数千人がたまたま目にして終わるだろう。だが例えば宇多田ヒカルが美味しかったロースカツ定食840円の話を書いたら、数百万人が争って読み、さまざまなコメントを山のように寄せ、豚肉の売り上げは跳ね上がるだろう。あなたのローマ帝国1480年はロースカツ定食840円に完敗だ。

*7:なぜ書くのか 貨幣と言語は同じもの、書くことはたった一人のベンチャー起業、自分がまずおもしろがれるものであること、あくまで結果として、社会のやくに立つか、いままでになかったものがジャッジされる。価値のある意見には、必ず値段がつく。文字がそこへつれてゆく、一行でいいと言われた映画評の連載をいきなり7000文字書いてしまった、だれかに読ませたいから書いたのではなく、ただ「自分がよみたかったから」という衝動にもとづいていた。好きで始めたことなのに、長い文章を書くのは本当に苦しい。腰は痛いし、とにかく眠い。途中で必ず「なぜこんなことをしているのかわからない」という気持ちが沸き上がる。自分が読んで喜ぶのは勝手だが、おれがなにを書いても読むやつなどだれもいないだろう。だが、しかし、それを何度も積み上げていくうちに、私は思いもしなかった場所に立つ、書いたものが読んだものが誰か予想もしなかったどこかへ、わたしを呼び寄せてくれるようになったのだ。そんなとき、わたしは「文字がここへ連れてきた」と思う。

*8:感想 ゴリラの話面白かったです以上・・。だとつまらないので私が面白いと思う文章で感想を書かせていただくと、うーんすんごい!スーパーサイヤ人なみの戦闘力の文章だ色々な人が口説いて書いて欲しいと言うだけのことはありますね、ホホホ!私だってフリーザくらいの戦闘力はありますよ、と言いたいところだが、控えめに言って「ヤムチャ」くらいだな(笑)冗談はともかく、自分が読んで面白い文章すごく勉強になりました、面白かったので田中秦延さんの文章がまた読みたいです、読んでくれてありがとうございました。また次も少しでも楽しんでいただけるよう努力します。